ごあいさつ

星と花の美しい里

私には絵描きの他にもう一つ、郷里鹿児島で社会福祉法人「野の花会」理事長という仕事がある。 この法人は介護老人福祉施設と介護老人保健施設・グループホームなどを運営していて、約200人 (平成7年) のご入居の方と地域のお年寄りのご自宅での生活の支援をさせていただいている。 介護老人福祉施設の約4000坪のエリアの初夏は、周りの樹々の緑も鮮やかに、花はまさに百花繚乱自然の恩寵を感謝と共に享受するときでもある。
8年前、この地で荒野にゆれる小さい野の花に心ひかれ「野の花会」と名づけ、“福祉に文化を”と願い「絵と彫刻のある憩いの園」とし、私の美術館も敷地内に造った。
ここで働いてくれる人達がお年寄りに季節を花で感じてもらおうと、庭先の花を持ちよりさし木とこぼれ種で増えつづけ、やさしい手作りの花の里が実現した。もうすぐ雨にぬれるあじさいがみずみずしく水無月を教えてくれる。
お年寄りも四季折々移りゆく花の美しさに年を重ねる。この地は先に星空日本一になった。 敷地の裏にある私の住いは、天井の一部をガラス張りにしておきながら、まだ私には星を愛でる時間が与えられないのである。
平成7年6月 記

社会福祉法人 野の花会
理事長 吉井 淳二 (当時)
洋画家・日本芸術院会員
平成元年文化勲章受章者

「あなたを生涯支えます」をモットーに

 30年前「豊かな老いの実現」を目指し「福祉文化の創造」を理念として野の花会は歩みをはじめました。開設時私達の心に最も鮮やかであったことは、「輝ける夕暮れをともに」「やすらかな野の花の姿と多くの友の中に」「共に生きる」でした。時代の流れとともに福祉も介護の在り方も変わりましたが、開設当時は入居されるお年寄りは重度の認知症や重い介護の方が多くひたすら介護に心をこめるだけで精一杯の日々でした。
開設以来、当たり前のこととしてきた 「抑制拘束なしの介護」 は30年たった今、優秀賞をいただいたり、「福祉に文化を」「介護に文化を」 と願いを込め努力したことは故日野原重明先生と安藤忠雄氏が提案された 「第一回癒しと安らぎの環境賞」 で最優秀賞をいただき、開設当初から当たり前としてきたことに光を当てていただくこととなりました。
煩雑を極める中でも生活の場においてのクオリティブライフと生命の尊厳を願い創設3年目には個室を増床整備したり、当時、紺・茶・グレイのお召しものの多かった食堂を「美しいお花畑に」と願い「たとえ障害をもっても前向きに輝いて生きる」をテーマに障害にあった着やすい服をスタッフが考案、「美しく装う」というファッションショーを開催。地域のお年寄りへのメッセージとし「前向きに輝いて生きる私を見て!」「Watch me」と阿波踊りや東京おはら祭りに参加、24時間リハビリの成果と自己実現を目指してきました。さらに「福祉文化、介護文化の創造」に努め、「21世紀あなたは幸せですか!」といつも呼びかけながら豊かな老いの実現に努めました。さらにサービスの「多角化」に努め、一人のお年寄りを生涯を通して支援できるようサービスを整え、「あなたを生涯支えます」をモットーに努力しています。
今までの思い (法人の理念・福祉の思想) を大切にしながら、状況を見つめつつ介護の専門性を活かして、野の花会がますます進化して地域の皆様のお役に立ち貢献できるよう努力いたします。100余年前に祖父が今で言う地域医療を志し、その志には生命があったのだと思います。その思いに共鳴して野の花会設立を加世田にこだわり30年が過ぎました。
前理事長の吉井淳二が思いを込めたアルテンハイムを中心とした美術館を含む4000坪のこの地「福祉と文化と平和のあるエリア」を尊厳に満ちたものに整え志に沿いながら運営と経営に心を尽くし地域のみなさまに信頼され親しまれ望まれる仕事を展開してご一緒に歩んでいきたいと願っております。よろしくお導き賜りますようお願い申し上げます。

理事長 吉井 敦子

野の花会について